【今回は覆らない? モラッティ氏のインテル会長辞任】

マッシモ・モラッティ氏がインテル会長の座を去る。短い、簡潔な記者発表で伝えられたその決定は、今後、覆されることはないだろう。現時点では、ジャチント・ファッケッティ氏に会長職が引き継がれることも発表されている。
モラッティ氏は1995年2月19日にインテルの会長に就任。1955年から1968年まで会長を務めた父アンジェロ・モラッティ氏の辞任から27年後のことだった。
モラッティ氏は石油分野の企業家で、兄弟のジャンマルコ・モラッティ氏が会長を務めるサラス社の専務取締役。過去には、イタリア五輪委員会の地方委員会代表(84年から92年まで)や、イタリアモーターボート連盟会長(92年)など、他のスポーツ関連の役職も経験した。88年から90年までは、ワールドカップ・イタリア大会(90年)のミラノ組織委員会の代表、そして91年にはイタリア・サッカー協会のコベルチャーノ技術センターの代表も務めた。2000年オリンピックのミラノ招致委員会(のちに立候補を取り下げ)では、主要な推進者の一人だった。
95年2月19日、インテルにかつての栄光を取り戻すべく、父親と同じ道を歩むことを決断。ハビエル・サネッティサモラーノロナウドロベルト・バッジョクリスティアン・ビエリエルナン・クレスポなど、そうそうたるスター選手たちをミラノに連れてくるために巨額の資金を投じた。
監督に関しては、ホジソン(3度就任)、シモーニ、マルチェッロ・リッピ、ルチェスクなど名だたる名将の首のすげ替えを繰り返し、昨年10月にはエクトル・クーペルを解任してザッケローニを後任に招いた。
これらの投資にもかかわらず、インテルはそれほどの結果を残すことはできなかった。モラッティの在任期間、インテルが獲得したタイトルはわずか一つ、UEFAカップ(97−98シーズン、パリでラツィオに3−0の勝利)だけ。2001−02シーズンには、最終節でスクデットを失った。その後は、スター選手の相次ぐ挫折や、ファンとの険悪な関係など失望が募るばかり。
インテルにとって、15年間の沈黙はあまりにも長すぎた。99年5月にもモラッティ氏が会長辞任を決断したことがあった。その時には「いろいろと残念なことがあった。心苦しいので辞任する」と語っていたが、後になって撤回。だが、今回は発表が覆されることはなさそうだ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20040120-00000013-spnavi-spo.html