イタリアに“Svincolato”(ズヴィンコラート)というサッカー用語がある。自由契約になった選手、契約切れになった選手、あるいは、自らの意志で自由契約になった選手を意味する。要するに、現時点でどこのチームとも契約を交わしていない選手を指す言葉である。
かつての“ズヴィンコラート”と言えば、新しい移籍先を探している間、同じ境遇にある“宿無し”選手と一緒に練習をするのが常であった。ところが最近は、“ズヴィンコラート”にもいろいろなタイプの選手がいるようだ。どこかのチームと契約を交わしていながら、意にそぐわない環境で折り合いの悪い監督と練習を続け、心の中ではそのチームとの決別を望んでいる選手。昨今ではそういう“隠れズヴィンコラート”も多い。彼らの中には、過去にそれなりの実績を残している選手が多いのだが、実績があるにもかかわらず、プレシーズンマッチではいつも試合の後半から出場する。シーズンが始まると若手に交じってプリマヴェーラの試合に出場するか、長い間ベンチを温め続けるような生活を強いられているのである。彼らは一日も早くチームと離別することを望んでいて、双方が納得した形での契約解除を狙っている。それが、メルカート期間中における彼らの“主戦法”になってきているのである。
リヴァウドは昨夏、「ファン・ハール監督とはこれ以上一緒に仕事をしたくない」という理由でバルセローナとの契約を途中で解除。“ズヴィンコラート”の身でミランに移籍した。そのリヴァウドと同様に、今夏は特に契約解除を狙った移籍交渉が多かったようである。かつてはビッグクラブが大物選手たちとこぞって複数年契約を締結した時代もあったが、そんな羽振りの良い時代は今となっては過去の話。最近ではその契約条件と高額な移籍金がネックになって、どのクラブも過去に獲得した大物選手を売りに出せず、四苦八苦しているのだ。
“ゆでたポテト”(問題児の意味)は、どのクラブにもいる。そうした問題児はクラブに自分の代理人を送り込み、年俸の値上げ交渉をさせている。ただ代理人はもはや年俸が上がらないことを知っているので、契約解除の際にもらえる手切れ金を狙っているという。交渉次第ではそちらのほうが金になるのだ。なぜならクラブの会長もまた“問題児”を早く厄介払いしたいと考えているからである。
セルジオ・コンセイソンにとって、インテルでの2年間は決して居心地のいい2年間ではなかった。結局、クーペルとは最後の最後まで意見がかみ合わなかったし、ピッチ上ではヴィエリから「パスが来ない」と文句を言われ続けた。そんな状態に耐えかねたのか、コンセイソンは今夏、2005年まで残っているインテルとの契約を解除したいと思い始めた。契約解除の交渉を担当したのは彼の代理人でイタリアとベルギーのハーフ、ドノフリオ。ドノフリオはセルジオ・コンセイソンの契約解除をインテルに認めてもらうために、1カ月半に渡ってミラノのDurini通りにあるインテルの事務所に通い詰めた。ところが7月末に彼らの交渉は決裂してしまう。先に主張を翻したのはインテルだったようだ。インテルはコンセイソンの満期終了前の契約解除を認める前に、彼を他のチームへ売却しようとしたのである。契約期間中の移籍ならば当然移籍金の支払いが生じてくる。つまり、インテルはコンセイソンを満期終了前に売却することで、移籍金が入ってくることを期待していたのだ。それを聞いたコンセイソンとドノフリオは激怒した。「もし契約期限前に契約を解除できないのなら、今後インテルが持ってきた移籍話を一切受けつけない」と言い残し事務所を後にした。インテル側はその夜、すぐに重役会議を開き、「コンセイソンをあと1年(あるいは2年)チームに置いておくことは、金銭的にも、チーム作りにおいてもリスクが高すぎる。移籍金を手にすることよりも、種々のリスクを回避することが重要だ」と判断。結局、コンセイソンが望んでいた形で、つまり、期限前に契約を解除することで決着がついた。その際に彼に支払われた手切れ金は370万ユーロ(約4億8000万円。彼の年俸の1年分に当たる)だった。決して低い額ではないが、とにかくインテルはコンセイソンとの絶縁に踏み切ることが得策だと判断したのである。
絶縁にもいろいろな形がある。インテルからブレッシャに移籍したルイージ・ディ・ビアージョは、クーペルと一対一で話し合った結果、一応納得してチームを去っていった。インテルとしてはパラグアイ出身のDFカルロス・ガマーラとも同じような方法で縁を切りたかったはずだ。ただ、ガマーラの場合は、ディ・ビアージョのケースよりも困難を極めた。「満足できる条件を提示してくれるクラブが見つかれば、すぐにでも契約解除に踏み切りたい」と思っている選手はたくさんいるに違いない。だからキャンプが近づくとそんなケースが多発するのである。コンセイソンがインテルとの決別を迎えた時にも、彼の下には好条件のオファーがたくさん届いていた。だからこそ、彼は強気の態度でインテルと交渉することができたのである。しかしガマーラの場合はそうもいかない。確かにガマーラの下にも数チームからオファーが届いた。しかし、インテルでの年俸を超える金額を提示してきたクラブはゼロだった。ガマーラがインテルに残留した裏には、そういった事情があったのだ。
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