【ヨーロッパの日本人】

さて、インテルサンプドリア
柳沢は、まだ先発出場を果たせていません。ということで、この試合は、戦前から予想される「ゲーム構図」の背景コンテンツを楽しむことにしました。ゲームの構図とは、もちろん、全般的にゲームを支配して攻め上がるインテルに対し、しっかりと人数をかけ守りながら(常に数的優位な状態を維持!)、機を見たカウンターを繰り出していくサンプドリア・・というものです。まあ実際に、そのような展開になりましたしネ。
サンプドリアの組織ディフェンスは、よかったですよ。スタートラインとしての選手たちのポジションニングバランス。そして勝負所における、それぞれの「個のアクション」が連鎖するボール奪取プレー。そのプロセスを観察しながら、こんなことを考えていました。
守備プレーのイメージを構築するスタートラインとしてのチーム守備戦術(どのように追い込み、ボールを奪い返すのかに関する決まり事)は大事だけれど、最終勝負では「個の判断力」も大きなウェイトを占める・・最後の瞬間では、決まり事に反するプレー(クリエイティブなルール破り)がチームを救うことも多い・・守備アクションイメージを描写するためのベースは、何といってもボール(相手ボールホルダーの仕掛け意図)・・それを「読み」ながら、次の実効ディフェンスを判断・決断し、勇気をもって実行していくという「個の姿勢」が重要な意味をもっているということ・・だからこそ監督・コーチは、チーム守備戦術の浸透も含め、選手たちの考える能力を発展させることをプライマリーターゲットにしなければならない・・等々。
本当にいろいろな「発想」が、アタマのなかを駆けめぐっていたわけですが、そのなかで、「・・守備戦術(守備システム)だからダメだ・・」とか「あの失点は・・守備戦術(守備システム)のせいだ・・」などいった偏ったものではなく、チームの守備戦術という基本的な発想に対する評価と、局面での個々のプレー(選手たちの判断と実行コンテンツ)に対する評価をバランスよく行わなければならないとも思っていました。
どんな戦術であれ、全員が納得して徹底すれば、かなりの機能性を魅せるものですし、様々なタイプの「失敗という現象」の背景では、チーム戦術的な要素と個人的な要素が入り組んでいるものですからネ。もちろんケースバイケースによって「ウェイト」は大きく異なってくるでしょう。とにかく、そこのところを正確に把握したいと思っているわけです。
またもっと大きな視点では、守備のチーム戦術について、リスクと安全のバランスというディスカッションテーマもあります。
チーム守備戦術には、ほんとうに様々な「発想」があります。皆さんご存じのように、私は、より難しく(選手たちの考える能力や判断能力、そして実行力が求められる)リスキーな、そしてだからこそ選手たちとサッカーを発展方向へドライブしていくに違いない、進歩的で攻撃的な「ライン守備戦術」を標榜しています。私はそれを、ポジショニングバランス・オリエンテッド守備戦術などと呼んでいます。
それに対し、より「人を意識する」方向性の、マンオリエンテッド守備戦術があります。よりシンプルだから、より安全で安定した守備戦術といえるでしょうが、選手たち、そしてサッカーの発展という視点では疑問符がつきます。
要は、リスクを冒さなければ、決して発展することはない・・という普遍的なコンセプトに立ち戻るというわけです。またそこでは、「選手たちは、攻撃だけではなく、守備においても主体的に楽しむ権利を有する(だから守備も、自主的に考え、判断するタイプのやり方を選択すべき!)・・」とか「選手たちにリスクチャレンジ(積極プレー)を求める前に、監督自ら、リスクへの積極姿勢を明確に示さなければならない・・」などといったベーシックなフィロソフィーもアタマに浮かんできたりする・・。まあサッカーは、本当に深いですよネ。
そんな、とりとめのないテーマに思いを巡らしながら、サンプドリアが展開する強固なユニットディフェンス(ライン守備戦術)を観察しつづけていたというわけです。結局「0-0」の引き分けに終わったこのゲーム。たしかに、インテルはツキに見放されていたという側面もありますが、「90分をとおした決定的チャンスメイク」という視点も含め、総体的にみた場合、絶対的なチカラで優るインテルが、戦術サッカーに徹しきったサンプドリアの術中にはまったという評価が妥当でしょう。ここでは、「戦術サッカー」の是非についてのディスカッションはご容赦! 何といっても評価の視点は、ケースバイケースの(柔軟な)バランス感覚をベースにしていなければなりませんから・・。
さて、試合終了寸前の89分に登場した柳沢。
ロスタイムがあったことで結局6-7分はプレーしましたが、交代出場の「見え方」は、限りなく、クラブ経営マネージメントの「ジャパン・ブランドに対する意識」と捉えられても仕方ないものでした。そこでの救いは、柳沢のプレーが攻守にわたってダイナミックで実効あるものだったこと。もし柳沢が、あのような「経済ファクターを優先した雰囲気」のなかで、プロサッカーが提供する価値の本質である「サッカーの内容」でアピールできなかったら、まさに「ジャパン」がさらしものになるところだった?!
その意味で、柳沢のガンバリに拍手をおくっていた湯浅でした。もちろん、こんな屈辱的な「見え方」しか提供できない柳沢に対し、そんな状況を、はやく実力で乗り越えて欲しい願わずにいられなかったことは言うまでもありませんよね。
http://www.yuasakenji-soccer.com/yuasa/html/topic.folder/03_foreigner.9.22.html